ミュージアムのひととき

第12回 ハワイの伝統航海カヌーHōkūleʻaの世界一周航海

a boat floating in the ocean on a sunny day.
ロアに停泊中のHōkūleʻa

コンパスや六分儀、海図などの近代的な航海計器を使わず、星や波や風そして海に生きる動物達など、自然の力だけを頼りに大海原を航海するハワイの伝統航海カヌーHōkūleʻaは、1975年に進水してから、1976年のタヒチへの処女航海をはじめ、マルケサス、ニュージーランド、ラパヌイ(イースター島)、ミクロネシアそして、2007年には日本へとこれまでに数々の航海を成功させてきました。HōkūleʻaWayfinding「道を見つける技」とも呼ばれる伝統航海術での航海を続けることで、ハワイ人が失いかけていたハワイ人としての誇り、ハワイ文化への尊敬や感謝、そしてハワイ人としての生き方を取り戻すことに大きく貢献してきただけでなく、ポリネシアを越えた太平洋の島々に航海カヌーの建造と航海文化復興の大きなきっかけをもたらしました。

コンパスや六分儀、海図などの近代的な航海計器を使わず、星や波や風そして海に生きる動物達など、自然の力だけを頼りに大海原を航海するハワイの伝統航海カヌーHōkūleʻaは、1975年に進水してから、1976年のタヒチへの処女航海をはじめ、マルケサス、ニュージーランド、ラパヌイ(イースター島)、ミクロネシアそして、2007年には日本へとこれまでに数々の航海を成功させてきました。HōkūleʻaWayfinding「道を見つける技」とも呼ばれる伝統航海術での航海を続けることで、ハワイ人が失いかけていたハワイ人としての誇り、ハワイ文化への尊敬や感謝、そしてハワイ人としての生き方を取り戻すことに大きく貢献してきただけでなく、ポリネシアを越えた太平洋の島々に航海カヌーの建造と航海文化復興の大きなきっかけをもたらしました。

2014年5月末にHōkūleʻaHōkūleʻaのシスターカヌーであるHikianaliaは、”Mālama Honua” (マラマ ;いたわる、ホヌア;地球)「地球をいたわる」というメッセージを掲げハワイ島のヒロから世界一周航海へと出航し、全航程約40,300海里、23の国と領土を訪問、150の港に寄港という、約3年間の航海を経て2017年6月17日ホームであるハワイへと無事に帰還しました。そのホームカミングセレモニーでは、HōkūleʻaHikianaliaだけではなくこの2隻のカヌーと共にタヒチから航海してきたタヒチアンカヌーFaʻafaete、マーシャル島からOkeanos、ハワイ島からMakaliʻI、マウイ島からMoʻokiha o piʻilani、カウアイ島からNāmāhoe、そしてオアフ島からはコアの大木で1995年に建造されたHawaiʻiloa、合計8隻のカヌーがオアフ島のマジックアイランドに集結。およそ5万人もの人々がその場に詰め掛けHōkūleʻaの帰還とカヌー達の集結を称えて熱い声援を送り8隻のカヌーとそのクルー達は盛大に歓迎されました。今、Hōkūleʻaはこの世界一周航海を支えてくれた地元ハワイの人々への感謝をこめてハワイの島々を巡る航海を続けています。Mahalo Hawaiʻi sailと題したこの航海はハワイの人々にHōkūleʻaが世界一周航海を通して世界の人々から学んできたことをシェアしていく旅です。

Hōkūleʻaの世界一周航海に私自身もクルーとしていくつかのレグ(区間)に参加させて頂きました。その中でハワイ島ヒロからタヒチへの航海にHikianaliaのクルーとして乗船した時の体験をお話します。

出航前

a group of people standing on top of a boat.

出航直前、パレカイの浜にカヌーの見送りに来た人々

 ハワイ島ヒロからタヒチの区間は世界一周航海での一番目の国際航海レグであり、私にとってもほとんどの若いクルーにとっても初めてのDeep sea voyage(遠洋航海)ということもあり、そのKuleana(クレアナ;責任)は有難くも重く、それぞれのクルーの肩にのしかかっていた。クルーが決まってから出航するまでの約6ヶ月間、2隻のカヌーの上架作業(ドライドック)というカヌーを陸に上げての修理作業で、クルーを含む多くのボランティアの人達がほぼ毎日夜遅くまで作業をし、週末は水泳やジョギング、腹筋、腕立て伏せなどの体力づくり、航海中にカヌーの上で安全に生活するためのセーフティートレーニング、例えば、クルーがカヌーから海に落ちた場合の人命救助の手順、自分自身が海に落ちた場合を想定しての雨具を着たままの水泳、その他にもセイリングの基本的な動作、ロープの結び方、島に着いて上陸する際の儀式で唄うチャントなどのトレーニングが繰り返された。

5月19日の夜に私達タヒチ行きのクルーがハワイ島のヒロに着いて、24日以降天候次第で出航する予定が南東よりの風が吹いているために延期になった。南緯17度に位置しているタヒチへの航海はカヌーの針路を南南東へ向けることになる。それに適している北東の風トレードウィンド(貿易風)が戻ってくるまで出航を先延ばしにすると、Hōkūleʻaのキャプテンそしてナビゲーターでもあるナイノアから告げられた。向かい風の中出航して大海原の真ん中で足止めされるよりは、風が私達の望む方向から吹いてくれるのを陸の上で待つほうが安全だという判断だ。陸の上なら食料や水の心配をする必要もないし風を待っている間にカヌーの準備、メンテナンス、クルーにとっても体と精神の準備をすることができる。クルー達は風向きが北東に変わるのを辛抱強く待ちながらクルーそれぞれのKuleanaをこなし、カヌーで使う道具や消耗品などが足りているかチェックリストを確認したり、オアフ島からハワイ島ヒロへの航海で気付いた補修箇所を修理したり、航海でいちばん大切な水、食料を積んだりと、朝早くから夜遅く出航直前まで準備作業、最終確認に明け暮れた。

出航がいよいよ明日に迫ったヒロでの最後の夜、いろんなことが私の頭を駆け巡った。これまでに何回かやったドライドックのこと、一緒にほこりまみれになって作業してきたボランティアの仲間達、家で待っている家族、応援してくれる友達、カヌーが停泊しているパレカイという浜で毎日のようにクルーのランチやディナーを用意してお世話して下さったコミュニティの方々。このHōkūleʻaHikianaliaの航海をたくさんの人達がサポートしてくれている。このサポートなしでは航海することはできない。カヌーは一人の力で動かすことはできない。クルー達だけでも航海することはできない。カヌーを世話するボランティアの人達とその家族、カヌーとは直接関わっていなくても、裏方としてオフィスで事務手続きやボランティアへの連絡係り等、ここで挙げるとキリがない程の様々なことを担当しているスタッフ達、そして、カヌーが航海する先々の港や島で迎え入れてくれるコミュニティの人々が繋がって協力するからこそ航海することができる。カヌーは海と人を繋げるだけでなく人と人をも繋げてくれる。

クルーがヒロに到着した日から11日目の朝、これまでマウナケアとマウナロアの山頂に重くかかっていた雲が晴れ、二つの山の頂上がくっきりと見えた。これは出航のサインだ。風向きが北東に変わったのだ。私はその風を感じながら、ナイノアの師であるマスターナビゲーター、マウ・ピアイルグが1976年のHōkūleʻaの処女航海のときにクルー達に伝えた言葉を頭の中で何度も唱えていた。

“Today we go to sea. Hōkūleʻa is your mother.  You take care of her, she will take care of you.

Today we go to sea. I’m your father, you listen to my word. You will see the island you seek.

Today we go to sea. You make good brothers, if you have a problem stick them in the dirt.

Leave them on the land. Today we go to sea”

「今日、私たちは海に行く。Hōkūleʻaはあなたの母。

彼女をいたわれば、彼女があなたをいたわってくれる。

今日、私達は海に行く。私(ナビゲーター)はあなた達の父だ。

私の言葉を聞きなさい。あなたが求めている島が見えるだろう。

今日、私達は海に行く。あなた達は良い兄弟になる。

もしも、問題があるのなら、それを土に埋めなさい。陸に残していきなさい。

今日、私達は海に行く。」

もう準備はできている。体も心も、魂も。いよいよ出航の時が来た。

私達クルーはそれぞれのカヌーに乗り込み、デッキの上で輪になって肩を組み、安全に航海を成し遂げるための祈りを捧げた。

HōkūleʻaHikianaliaが、今まさに出航しようとしているパレカイの浜に、たくさんの人達が集まり歌やチャントを力強く唄いながら二隻のカヌーの出発を今か今かと待ち受けている。島の人達の熱い思いを感じて体が熱くなった。その熱い思いに押されるようにカヌーを繋いでいたロープが離され、錨が揚げられ、カヌーは静かに動き出した。

たくさんの人達がビーチや岸壁でずっと手を振り続け歌を歌い続けている。岸壁の端まで大人も子供も走ってカヌーを追いかけてくる。カヌークラブの人達が二人乗り、六人乗りのカヌーをパドルしながらとHōkūleʻaHikianaliaを伴走してくれている。

ついに出航した。日が西へと傾いている。あと2時間ほどすれば日が沈み星が見えてくるだろう。伝統航海術によるタヒチへ向けての航海がはじまった。

カヌーでの生活

a view of the deck of a sailboat in the ocean.

航海中のある日の風景。カヌーのロープが物干し代わり

 タヒチへの航海はHōkūleʻaのクルー12人、Hikianaliaのクルー16人。そのほとんどは地元ハワイ州出身だが、もちろん他州出身の人もいた。タヒチとマルケサスのクルーが一人ずつ、日本からは神奈川県葉山出身の内田沙希さんと沖縄県出身の私二人。世界中からHōkūleʻaに惹きつけられた人達が集まり人種も職業も年代もそれぞれだ。それでも航海中ひとつひとつの作業を助け合ってやるたびに近くなって本当の兄弟や姉妹、家族のようになっていく。

クルーはみんなで一緒に同じ時間に眠ったりはしない。一日24時間いつも誰かが舵について針路を保持し、帆の張り具合を調節し、障害物や他の船にぶつからないように見張りをする。特にHikianaliaHōkūleʻaのエスコートなので、Hōkūleʻaの安全にも気を配り、見失ったりしないようにお互いの距離を離れすぎたり、近づきすぎたりしないよう、スピードを調節しないといけない。その為クルーを5人ずつ3つのグループに分けて4時間交代でウォッチ(シフト)を組んでいる。それぞれ午前と午後のシフトがあり6時から10時、10時から2時、2時から6時、ひとり一日2回ウォッチに入ることになる。

私は2時から6時のウォッチだったので夜のウォッチのときには午前1時半に起きて準備をする。1時半とは言っても、私達は時計を使わないので目覚ましアラームを使ったりしない。太陽や星、月や惑星が私たちの時計となる。それらを観察してナビゲーターが交代の時間頃になるとクルーに知らせて次のウォッチのクルーを起こしににいくというしくみだ。

ウォッチ中は舵をとってナビゲーターが示す針路を保持する為に、帆の張り具合を調節、風の強さによっては帆の大きさを変えたり、帆を下げたり上げたり、ヘッドセイルという、カヌーの前方にある帆を取り替えたりする。船底に溜まった水をくみ上げる。マストを支えているロープの張り具合や磨耗がないかチェックする。その他にもカヌーを目的地に到着させるためにやらなければならないことがいろいろある。

2時から6時のウォッチは日の出と日の入りがウォッチ終了の合図。次のウォッチに引き継いだ後基本的には次のウォッチの時間まで8時間は休み時間となって、睡眠をとったり、洗面、歯磨き、海水でのシャワーを浴びたり、洗濯、日記を書くなどをして過ごす。そして食事の準備、食器洗い、後片付けを手伝ったりする。風が強いとき、海が荒れているとき、何かが壊れたときなど、ウォッチに入ってるクルーだけでは人手が足りないときにはウォッチ外の時間でも、もちろん手伝う。

私の場合は午前のウォッチが終わった後、朝食準備を手伝い、食後に皿洗い、歯磨き、海水のシャワーを浴びるか洗濯をして、日記を書いた後次のウォッチ午後2時まで仮眠をとる。また、ウォッチ以外の時間に一日最低一回はカヌーや他のクルーのために何かすることを心がけた。例えば、シャワーを浴びる前にトイレ掃除をするとか、自分が洗濯をするついでに雑巾を洗ったり、キッチン用品の整理整頓するなど小さなことだが何かできること、Mālamaなことを一日一回。

カヌーでの生活というのは波に揺られて全ての物が動いている。常に水にぬれること風に飛ばされることを想定して行動しなければならない。陸の上での日常生活で普通にしていることが、カヌーの上では簡単ではない。むしろ命がけだったりする。例えば、デッキの上を歩き回ること、寝床に入ること、トイレに行くこと、シャワーを浴びること、歯磨き、お湯をわかす、コーヒーを作る、料理をするなど、そのどれもがチャレンジの連続だ。何でもかんでも動いているし、水しぶきは飛んでくるし、雨は降るし、油断していると、物が風で飛ばされて遥か彼方に行ってしまう。Hikianaliaにはトイレがあるが、Hōkūleʻaにはない。手すりにセーフティーハーネス(安全帯)をひっかけて、カヌーにしっかりとつかまった状態で海へと用を足す。まさに命がけだ。

この様に書くと、カヌーでの生活ってなんだか楽しくなさそうだと思われてしまうかもしれない。失敗することもある。もちろん落ち込むことだってある。でも、それぞれの行動の後の達成感や充実感。今日も一日がんばったと感じることができる。失敗した日でも、笑って今日も一日生きていると感じることができる。ただ生きていることに、生かされていることに、素直に感謝することができるのだ。

海からの恵み

a group of people on a boat in the ocean.

スコールの後の海からの恵み。海にかかる虹

ハワイ島を出航してからの2日間、船酔いで気持ちが悪く、バナナ、ライチ、オレンジの果物類しか口にすることができなかった。そして3日目、私はカヌーの船首側(前方)にあるハッチ(デッキの下にあるカヌーで使う道具などを置いている場所)に溜まった水をかき出していた。そこはカヌーの上で最も水しぶきをかぶるところ。だから、ウォッチ交代の前に毎回水を取り除かなくてはいけない。カヌーの安全のためにとても大切な作業のひとつだ。1978年の航海ではそれを怠ったために、水がハッチいっぱいに溜まりその重みで大波を被った際に転覆した。私が溜まっていた水をスポンジで吸い取ってバケツに入れハッチから出たその瞬間バッシャーンと思いっきり波の水しぶきをかぶった。防水雨具を着ていたのにも関わらず雨具の中まで水が入ってびしょ濡れになった。でも、その水しぶきをかぶったその直後、気分がとってもスッキリした。船酔いが吹っ飛んでしまった。その瞬間から気分がすっかり良くなったので、ご飯ももりもりと食べられるようになった。

マルケサス出身のクルー、ハーヴェがこんな話をしてくれた。

「水しぶきは海からの恵みなんだよ。水しぶきをかぶった時に、あーあ、濡れちゃったよとネガティブにとらえるのではなく、海からキスやハグをしてもらったと考えてみて。水しぶきをかぶるたびに、Maururu Ta’aroaと言うといい。」

Maururu マルケサスやタヒチ語でありがとう。

Ta’aroa」海または海の神様。ハワイ語のKanaloaと同じ意味。

「水しぶきをかぶったら、Maururu Ta’a roa と言って海に感謝するんだ。」

その話を聞いて、だからあの水しぶきをかぶった瞬間から気分がスッキリしたのかと納得してしまった。タヒチへの航海ではカヌーの上でほとんどの時間を濡れて過ごした。一日に何回も水しぶきを被った。ハーヴェに話を聞いて以来、水しぶきをかぶるたびに、

Maururu  Ta’aroa!

と海に感謝した。そうすると、いつも気分が晴れやかになった。

星に導かれて

the sun shines through the clouds on a sailboat.

赤道近くを航海中のHikianalia

日の出と日の入りは伝統航海術でも最も重要な時間だ。太陽は東側から昇って、西側へと沈んでいく。タヒチへの航海中、カヌーは南南東  南へと針路をとっているので太陽はカヌーの左舷側の水平線から昇り、カヌーの右舷側の水平線へと沈んでいった。午前2時から6時のウォッチでは、右舷側にハワイではマウイの釣り針と呼ばれるさそり座、そして、その釣り針が釣り上げようとしているピモエという魚(射手座)が西へと沈もうとしている。カヌーの前方につる座、後方にこと座のベガ、わし座のアルタイル、白鳥座のデネブが大きな三角形を作ってカヌーを見守っている。ウォッチの時間が終わろうとする頃、夜が明ける少し前、左舷側には金星が東の空から昇ってきて明るく輝いている。

カヌーは一日6ノットから8ノット(時速約1216キロ)で順調に航海していた。一日航海するごとにカヌーの前方に見えている南十字星の角度が高くなり、逆に北極星は北の水平線へと近づいていく。それらの星の位置は私たちが確実に南へと向かっていると教えてくれている。そのことがクルー達に自信を与えてくれる。プラネタリウムでしか見ることができなかった星の動きや位置が、実際に目の前で起こっているのだ。私は初めてそれを身をもって体験している。それは言葉では言い表せない感動だった。

ハワイ語でHoe(ホエ)と呼ばれる100キロ以上はある大きなパドルで舵を取る時、夜間星が見えるならそれを目標にするが、昼間や星が雲に覆われている夜はそうはいかない。波のリズムや風の強弱の変化を体全体で感じながら舵を取る。集中して舵をとっていると自分がカヌーの一部になったような感覚になる。そしてカヌーとひとつになりやがて海と繋がっていく。海の状況によってはクルー二人や三人で力を合わせて舵を取ることもある。そうやってクルー達と共にカヌーとひとつになり海とひとつになっていくことで私達はみんな地球の一部なんだと感じることができる。私達はこうやって星や雲を読み風を肌で感じ波とリズムを刻みながら、自然と繋がって生きていくことができるのだ。しかしそうやって生きていくためには人同士の繋がりこそが大事なのだとこの航海が教えてくれた。

the sun is setting over the ocean as seen from a boat.

海と雲の彼方に沈んでいく夕日

航海9日目もうすぐ赤道を越えようとしていた。北の方角を示すうえに私達のいる緯度をも教えてくれるHōkūpaʻa(北極星)を視認することができない。水平線と同じ高さか、もう水平線の下に沈んでしまったのだろう。その二日前は、風が弱くてとても暑いためバンク(寝床)で眠られないので、クルー達はみんなデッキの上に出てきて寝転がっていた。昨日はそれとは打って変わって6回以上スコールに見舞われ、その度にヘッドセイルを降ろしては上げ、帆のサイズを変えては戻してを繰り返した。その忙しい一日の終わりに風はピタっと止み海面が鏡のようになった。空がオレンジと水色が混ざり合ったようななんとも言えない美しい色に染まり大きな濃い灰色の入道雲がその空の一部を隠している。そして空全体が海の鏡に写っていた。日が沈んだ後の静かな時間、クルー全員でその空と海を暗くなるまで眺めていた。今日のこの夕日をまたもう一度見たいと思ったが、この場所でこのカヌーの上で同じクルーと一緒にこの夕日を見ることは二度とない。同じ夕日はまたとないのだ。この夕日は今日のこの瞬間だけの特別なもの。だからこそこんなにも美しく私達の目に映るのかもしれない。夕日は沈んで夜になり朝日が昇る。新しい一日のはじまりだ。今日この一日はまたとない。今日のこの一日を精一杯悔いのないように生きろとその空と海は私達に伝えているようだった。

航海中はそんな息を呑むような美しい瞬間の連続だった。金星が東の空から昇ってくるのと同時に大きな満月が西の空に沈もうとしている。イルカが波に乗って海を優雅に泳ぎ、海鳥は空で清々しく風に翼を乗せてHōkūleʻa Hikianaliaの間を行き来している。激しいスコールの後Hōkūleʻaの上に虹が弧を描いている。地球は自転することによって奇跡のような一瞬を絶え間なく創り出し、そして生きている。そう、地球は確かに生きているのだ。

私は地球が織り成す奇跡の瞬間を目の当たりにする度に家で待っている娘のことを思い、そして静かに祈った。私は娘と娘と同じ時代に生きていく次世代の子供達にこの美しい瞬間の数々を見せてあげたい。子供達自らの目で見て肌で触れて心でこの生きる地球を感じてほしい。

■宇宙に浮かぶひとつの島

a view of the sky from a boat on the water.

帆が風を受けて雲が流れていく様子

この世界一周航海 はHōkūleʻaが航海した先々の島で人々にカヌーに触れてもらい、Hōkūleʻaが歩んできた歴史やカヌーでの生活や伝統航海術を語り継いでいくことで、彼ら自身の島の自然や文化に目を向けて現状を認識し、彼らの先祖がどのようにその島を「Mālama」してきたのかを再発見し次世代の子供達にどうやってその島を引き継いでいくのかを考え行動を起こしてもらうことが目的の一つだった。

Hōkūleʻaは航海した世界の島々で多くの人達の心に触れた。Hōkūleʻaは世界一周航海を終えてハワイへと帰って来たが、この航海はカヌーに触れた人達の中に生き続ける。Hōkūleʻaのこれまでの全ての航海がそうなのだ。目的地に着いて終わりではない。そこから始まる出会いと繋がり。Hōkūleʻaによって人々の心の中に生まれた航海が繋がって編み込まれていく。Hōkūleʻaはそうやって人々の心に触れながら、人々の心の中で航海を続けながら前へと進む。

“He wa’a he moku he moku he wa’a “ 「カヌーは島で島はカヌーだ」というハワイのことわざがある。本当にその言葉の通りなのだ。古代ハワイ人の祖先は地球に生きる術を知っていた。太平洋の真ん中でカヌーの上でクルーと共に過ごした日々は、地球が宇宙に浮かぶ一つの島で人類はひとつの家族なのだと信じさせてくれた。そしてカヌーに触れた次世代の子供達が地球という名のカヌーに乗って明るい未来へと導いてくれるのだと。

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