ミュージアムのひととき

ミュージアムのひととき2018-06-21T13:33:04+00:00

ミュージアムについてジャンルを問わずご紹介するコーナーです。

第14回 ミュージアムのひととき

ハワイの伝統航海カヌーHōkūleʻaの世界一周航海

~Mālama Honua World Wide Voyage 体験記第2回 (前編)~

Hikianaliaでタヒチへと航海してから約1年後、2015年5月から7月にHōkūleʻaに乗船しオーストラリアのブリズベンからダーウィンへの航海に参加させて頂きました。今回はその航海での体験を前編と後編に分けてお話していきます。

■ 海から陸の生活へ、そしてまた海へ

タヒチへの航海から帰って来て家族に再会できた喜びも束の間、その次の週からは仕事も始まり普段の陸の生活に戻っていった。でも日々の生活のリズムを取り戻していく中で、航海に出る前と後で確実に変わったことがある。それは、今まで当たり前だと思っていたことに対して有難さを感じていること。家族や友達と一緒に過ごす時間、土や草木、花の匂い、ビーチを歩いたときに足裏に感じる砂の感触、海に飛び込んだり、サーフィンができること、温かいシャワーが使えること、氷の入った冷たい水が飲めること、冷蔵庫や洗濯機、乾燥機がいつでも使える生活、その何気ない日常生活の出来事に素直に感謝できるようになった。カヌーでの限られた空間で積んである物だけを使っていた航海で、生きていくために必要な物というのは少なくてもいいのだということを学んでから、家の中を見回してみると実はあまり使っていない物の方が多いということに気が付いた。そういうことに気付いたり、日々の小さな出来事に感謝して幸せな気分に浸ったりすると同時に、また航海に出たい!という気持ちが沸々と心の中から湧き出ていた。すると不思議なもので、ポリネシア航海協会から、今度はHōkūleʻaでオーストラリアのブリズベンからダーウィンへの航海へ参加できますか?というメールを受けた。私の返事はもちろん「YES」、そして家族のサポートもあり再び航海に参加することになった。

■ Kuleana(責任)

今度はHōkūleʻaでオーストラリアへ。Hōkūleʻaが初めて太平洋を越える。タヒチへの航海とはまた別のキャプテン、クルーとの航海。そして、私に割り当てられたKuleana(責任)は料理担当とクオーターマスター。私は料理が余り得意ではないのに、料理担当になってしまったのと、クオーターマスターというもうひとつの責任重大なKuleanaを任されたために、タヒチへの航海以上に緊張していた。カヌーの上で料理担当というのはキャプテンとナビゲータの次に大事だと言うクルーもいるくらい、長い航海での食事はクルーにとって貴重な楽しみの時間である。それだけに、料理担当のクルーにはプレッシャーが重くのしかかる。それに加えてもう一つの私のKuleanaであるクオーターマスターは、食料や水等の荷物をカヌーに積み込む際に指揮ををとる。積荷の重さを配分しカヌーのバランスを考えて配置するため、積み込みが行われる前にローディングプランを作成し、積み込みの際にカヌーのどこに何があるかを把握し、それがクルー全体にわかるようにマニフェストを作成することが大切な役割のひとつとなっている。荷物の積み込みが行われた後も航海が始まってからは常に水と食料がどれだけ残っているかチェックし道具や荷物の保管場所が変わる度マニフェストを更新していかなければならない。

タヒチへの航海では初めての長距離航海ということもありベテランクルーに何をするべきか聞いてそれに従うか、ベテランクルーの後について彼らのやってることを真似たり手伝ったりしていたが、この航海では私が率先して行動しなければならないのだ。

このKuleanaは十数種類あり、クルー全員に割り当てられる。今回の航海はタヒチへの航海とは違い寄港地が多く、オーストラリアの東海岸を沿岸沿いに航海していく。地元の学校や施設の訪問、カヌーツアーとイベントが多数あるため、陸の上で航海をサポートするランドクルーが約5人、そして、途中の寄港地でクルーの交代もあり、実際に最初から最後までカヌーに乗船したのは私を含む8人のクルー(通常の航海は12人)、しかもそのほとんどが若手のクルーだった。そのため1人のクルーに2~3のKuleanaが割り当てられた。

下記が主なKuleanaである。

キャプテン 船長

ナビゲーター 伝統航海士

ワッチキャプテン それぞれのワッチ(4~6時間交代で行う見張り当番)のキャプテン

ファーストメイト キャプテンの助手的存在

クック 料理担当

クオーターマスター 上記

セーフティーオフィサー カヌーとクルーの安全に関することを担当

セーフティースウィマー ライフガード的存在

エレクトリック 無線や航海灯などの、カヌーの電気関係の修理等を担当

カーペンター 大工さん的存在、カヌー全般の修理を担当

セイルリペア 帆の修理を担当

フィッシャーマン 魚釣り担当

サイエンス カヌー上で行うサイエンスプロジェクトを担当

プロトコル 島に到着した際の儀式などを取り仕切ったり、上陸する際にチャントを唄ったり、クルーにチャントをトレーニングする

エデュケーション 寄港地で行う教育プログラム、例えばカヌーツアーや、地元の学校訪問などを段取りし取り仕切る

コミュニケーション 無線でのやり取りや、ポリネシア航海協会のオフィス、寄港地との連絡係り

ドキュメンテーション 航海の様子を写真やビデオに収めオフィスに送り、ニュース等に配信

ドクター お医者さん

■ 一年ぶりに再会したHōkūleʻa

ホノルル空港から飛行機で 約8時間のフライトの後ブリズベンに到着、それから車を走らせて約1時間、やっとHōkūleʻaが停泊する港に着いた。私達クルーの目が自然と二つのマストを探す。夕日が沈む少し前ピンクとオレンジが混ざった夕焼けを背景に、これから私達の母になるHōkūleʻaは力強く、そして静かに私達の帰りを待っていた。クルーそれぞれがHōkūleʻaに触れ1年ぶりに再会できた喜びを噛み締めていた。

クルーを迎え、そして見送るHōkūleʻa

ニュージーランドからオーストラリアへと航海したクルーは港のすぐ側にある建物の一室を借りてキャンプをするように宿泊していた。久々に再会するクルー達。その顔は航海を終えた達成感と、もうすぐ家族の待つホームへ帰れるというリラックスした表情と共に、航海中のホームであり母親であったHōkūleʻaと、航海を共にした兄妹クルー達と離れてしまうという寂しさが入り混じっていた。

明日には私達クルーにカヌーが引き継がれ新たな航海に向けての準備が始まる。その夜は興奮と緊張であまりよく寝付けなかった。

一夜明け、その日は朝早くから地元のカヌーパドラーと共に6人乗りのカヌーに乗りパドリング。この世界一周航海では、こういう地元の人達との交流も大切にしている。2時間近くのパドリングの後、朝食をとりながらミーティング。この日はクルー間でそれぞれのKuleanaを引き継ぎした後食料や水等を積み込むローディングが行われる。私に料理担当とクオーターマスターのKuleanaの引き継ぎを行うのはAnaという地元ハワイの女の子。彼女のお父さんはミクロネシア出身で1980年代からHōkūleʻaで航海をしているベテランクルーだ。Anaはタヒチへの航海でHōkūleʻaの料理担当だった。私達はカヌーは別々だったが共ににタヒチへと航海しトレーニングしてきた。ハワイ島でタヒチへの出航を風待ちしていた時にはルームメイトでもあったので、その彼女が私に引き継ぎを行なってくれるのはとても心強かった。Anaの優しく丁寧な引き継ぎとクルーみんなの頑張りと助けのもとローディングは無事に済み、カヌーは正式に私達クルーに引き継がれた。明日には次の寄港地へと出発する。そして、航海を終えたクルー達は今夜飛行機に乗ってハワイへと帰っていく。たった二日しか一緒に過ごしていないが、カヌーの兄妹達を見送るのは寂しい気持ちになった。

翌朝、朝食の後食器洗いと冷蔵庫の整理整頓をし宿泊していた場所を掃除した。クルー達は訪れた場所を来る前よりも綺麗にしてから帰るということを心がけているので、その場所を好意で貸してくれた方への感謝を込めて隅々まで綺麗にした。そしてクルー達の荷物をカヌーに積み込みバンク(寝床)をセットした。いよいよ出航だ。

■アボリジニの人達との出会い

このオーストラリアの旅はHōkūleʻaの航海と共に、いくつかのミッションがあった。

  •  キャプテンクックがこの大陸を発見するよりも何千年も前からその土地に生きていたアボリジニの人々と会い、彼らがこの土地で自然に寄り添いながらどうやって生きてきたのか、そして、どのようにその土地をMālama(care/大切に)してきたのかを学ぶ。

オーストラリアにはグレートバリアリーフという世界でも最大で最古のサンゴ礁が存在する。世界中の海でブリーチングとも呼ばれるサンゴの白骨化が問題になっている中、その世界にも誇るグレートバリアリーフを保護するために地元の人達がどのような活動を行っているのかを学ぶ。

このミッションの為にクルー達はそれぞれの寄港地でアボリジニの人達と交流し、地元の学校や自然保護関係の施設を訪問した。

Hōkūleʻaはクルー間でKuleanaの引継ぎを行っている間、ブリズベン近郊のCleavelandに停泊していた。最初の寄港地はそこから東へ約40海里の位置にある島だ。その島の英語名はNorthstradbroke island だが、アボリジニ名はMinjarribah 。その島の先住民であるQuandamookaという部族の野生生物保護ユースレンジャー達にCleavelandに来てもらい一緒にHōkūleʻaに乗船してMinjarribah島まで共に航海した。

Quandmookaユースレンジャーと共に航海をする

この世界一周航海では長距離ではない沿岸航海の場合、地元の人達も一緒に航海をする。Hōkūleʻaの航海を体験してもらうためだ。Hōkūleʻaの航海の素晴らしさをどんな言葉で伝えても実際にカヌーに 乗って航海を体験しなければわからないことがたくさんある。その短い航海がその人の人生をも変えてしまうこともある。そういう特別なパワーがこのHōkūleʻaにはあるのだ。私もクルー達も世界中の多くの人達にHōkūleʻaのパワーを感じてほしいと願っている。

Minjarrebha島に着くと60人くらいのQuandamookaの人達が岸壁でカヌーの到着を待っており、私達はカヌーから降りる前にクルー全員でOli (チャント) をした。Hōkūleʻaの航海では島に上陸する前に必ずこのOliをする。それは、その島の人達へ自分達が何者であるかの自己紹介をした上で、島に足を踏み入れてもいいでしょうかと敬意を払って上陸許可を求める意味を込める。アボリジニもハワイアンも先住民族であるにも関わらず、後から来た西洋人達に土地を奪われ、島の名前を変えられ、言葉や文化を否定された歴史を持つ。そんな彼らにとって、この儀式は特別で大切な意味を持つ。私達がそのOliをした後、今度はQuanndamookaの一人が、その部族の言葉でOliを返した。上陸陸許可がでたのだ。私達がカヌーから降りてスロープを上がっていくと、そこは緑の木々に囲まれた広場になっていて島の人達がガムの木の葉っぱを燃やした煙を炊いて迎えてくれた。それはアボリジニに伝わる伝統的な身を清めるための儀式だ。私達はその煙の中をぬけて一列になった。そして英語でいくつかのスピーチがあり日が沈む少し前に静かにセレモニーが終わった。

ウェルカムセレモニー直後

翌日、Quanndamookaの人達が彼らにとってとても神聖な場所に連れて行ってくれた。

そこはアボリジニ名Bummiera、英語名ブラウンレイクと呼ばれる湖で、その名の通り水が透きとおった琥珀色をしている。この湖にはKabool と呼ばれる虹色の蛇が存在すると信じられている。Quanndamookaの長老の一人である女性アンティ エブリンが、その湖の精霊でもあるKaboolと、その土地を守ってきたアボリジニの先祖達に、よその島から来た私達がその神聖な場所に足を踏み入れてもいいか許可を求めるQuandamookaの言葉を唱えた。その後しばらくの

静寂の中で私達はその美しい湖を眺めていた。そして、アンティエブリンが3枚の絵を見せてくれた。

透き通った琥珀色をした湖の水

虹色の蛇Kaboolが住む湖Bummiera

一番目に見せてくれた絵には、若く健康なガムの木がキャンパスに描かれていた。その絵は鉛筆で描かれていたが、ガムの木には青々とした葉が生い茂っているのがわかる。その絵のガムの木は西洋の文化がこの土地に入ってくる前のQuanndamookaの人々を表している。その木はとても健康で、力強く太い木の根は母なる大地にしっかりと繋がっている。アンティエブリンとQuanndamookaの人々がその土地の自然と密接に関わりながらどのように暮らしてきたのかを話してくれた。彼らは鳥のさえずりを聞き、風に揺れる木々の葉の声に耳を傾け、空を見上げて雲が創り出す様々な形を読み取りながら畑を耕し、狩りと漁に出た。その土地の自然と繋がることに重きを置いていた。自然と対話しながら、自然が織りなすサインを読み人々の健康な根、ルーツが母なる地球にしっかりと繋がり誇り高く生きていた時代だ。私はアンティエブリンの話を聞きながら彼らの生き方はカヌーでの生き方ととてもよく似ていると静かに感動していた。

2番目に見せてくれた絵は同じガムの木だが、一枚目の絵のガムの木とは打って変わって、葉は枯れ落ち枝は折れている。弱々しく、頼りなく、病んでいるようにも見える。このガムの木はQuanndamookaの土地が西洋人に侵入され、先住民であるはずの彼らが、その生き方を否定され自分自身を見失っている時代、すなわち比較的近い過去から今現在のQuanndamookaの人々を表している。彼らだけでなく私達は皆、混乱した時代に生きている。新しい事や物が次から次へと起こり作られ、何に価値を置けばいいのか判断するのが難しい時代だ。「でも」とアンティエブリンが続けた。「枯れてしまったように見えるけれど、その木の太い根はまだしっかりと母なる大地に繋がっています。その太い根、ルーツがしっかりと大地に入り込んでいれば、その木はしっかりと踏ん張って立つ事が出来るのです。たとえ、葉っぱや枝を失ったとしても。」私達は全員、アンティエブリンの言葉に胸が熱くなった。

そして最後の絵には若葉が生え始めた、健康な若いガムの木達が描かれていた。それはQuanndamookaのコミュニティの中でたくましく生きる子供達を表している。彼らは一度失われかけたQuanndamookaの言葉や文化と歴史を学び、すくすくと育っている。ある若者達はこの島の環境のために野生生物保護レンジャーとして活躍している。これからの未来を背負っていく子供達、Quanndamookaの人達にとって彼らは希望の光だ。それはまるで、若いガムの木達が健康な森へと復活していく様子を見ているかのようでもある。

三枚の絵の話の後、私達はただ自然の奏でる地球の声に耳をかたむけていた。そして、アンティエブリンが静かに言った。

Quandmookaの過去、現在、未来を表す3枚の絵

「私達は家族になりました。立会人は必要ありません。鳥や木々、花達が見ていました。私達が家族になるのを認めてくれました。それだけで充分です。私達はもう家族だから、あなた達はいつでもこの土地に戻って来てもいいのです。そして、私達Quanndamookaの魂はHōkūleʻaと共に航海をします。」

忘れられない、忘れたくない時間がそこにあった。これこそ、この航海の目的であるMālama Honua(To care for our island earth/地球を大切に)の物語だ。私達は出会うべくして出会ったんだと感じた。

「たとえ自分を見失ったとしても根がしっかりと母なる地球と繋がっていれば、自分を取り戻し、ホームに帰ることができる。」この言葉はクルー全員の心に刻まれた。

それからの数日間Minjarrebha島で地元の学校を訪問し、地元の人達をカヌーへ迎え入れるカヌーツアーを行ったりして、この島に住む、たくさんの美しい人々と出会った。

クルーと子供達の交流

地元の学校の子供達とビーチクリーンによって採集した漂着物で一緒にアートを作る

子供達がビーチで採集した漂着物

クルー達は一日だけ、Quanndamookaのユースレンジャー達と共に草刈りなどの土地の手入れを行った。

ユースレンジャー達の役目は島の環境に影響を及ぼす外来種の動植物を取り除き、草刈りなどをして土地を手入れし、島のエコシステムに貢献している野生生物を保護することだ。その野生生物の中には危険な毒蛇などもいる。

土地の手入れ草刈ををするユースレンジャーの手伝い

でも、彼らは「危険な生き物だからといって殺してしまうのではなく、どうやって彼らと共に生きていくのかを学ぶことが大事なんだ。」と言う。それは、彼らの先祖が歩んで来た道だ。アボリジニの人々は何千年も前から、そうやってその土地の自然と共に生きて来た。危険な野生生物も人もこの島の一部で、それぞれのKuleanaを持っていることを十分に理解していた。ユースレンジャー達は先祖が辿ってきた道を引き継ぎ、未来へと繋げていこうとしている。それが彼らのKuleanaなのだ。

そして、いよいよ再び航海に出る前日、ユースレンジャー達がホクレアのパーツの一部にBummiera(ブラウンレイク)の精霊であるKabool、虹色の蛇を彫刻してくれた。

私達と家族になったQuanndamookaの魂がホクレアと共に航海する

ユースレンジャーが彫刻した虹色の蛇Kabool